MANAGEMENT ISSUE
今回の経営課題
二代目が先代の番頭を外す。新しい経営陣が功のあった支配人を疑う。去る側は怨みを口にし、残る側は言い訳をする。代替わりの直後に、功臣が去る話は、どの業界にもあります。
楽毅の手紙は、去る側の手本です。燕王の言い訳を一つも反論せず、先王がどう自分を抜擢し、自分がどう功を立て、なぜ去ったかを語り、「古の君子は交わりを絶っても悪声を出さず」と結びました。残る側の手本は、恵王ではなく、楽毅を抜擢した昭王のほうにあります。
漢文原文
『戰國策』燕二「昌國君樂毅為燕昭王合五國之兵而攻齊」の原文
昌國君樂毅為燕昭王合五國之兵而攻齊,下七十餘城,盡郡縣之以屬燕。三城未下,而燕昭王死。惠王即位,用齊人反間,疑樂毅,而使騎劫代之將。樂毅奔趙,趙封以為望諸君。齊田單欺詐騎劫,卒敗燕軍,復收七十城以復齊。燕王悔,懼趙用樂毅承燕之弊以伐燕。燕王乃使人讓樂毅,且謝之曰:「先王舉國而委將軍,將軍為燕破齊,報先王之讎,天下莫不振動,寡人豈敢一日而忘將軍之功哉!會先王棄群臣,寡人新即位,左右誤寡人。寡人之使騎劫代將軍者,為將軍久暴露於外,故召將軍且休計事。將軍過聽,以與寡人有郄,遂捐燕而歸趙。將軍自為計則可矣,而亦何以報先王之所以遇將軍之意乎?」望諸君乃使人獻書報燕王曰:「臣不佞,不能奉承先王之教,以順左右之心,恐抵斧質之罪,以傷先王之明,而又害於足下之義,故遁逃奔趙。自負以不肖之罪,故不敢為辭說。今王使使者數之罪,臣恐侍御者之不察先王之所以畜幸臣之理,而又不白於臣之所以事先王之心,故敢以書對。「臣聞賢聖之君,不以祿私其親,功多者授之;不以官隨其愛,能當之者處之。故察能而授官者,成功之君也;論行而結交者,立名之士也。臣以所學者觀之,先王之舉錯,有高世之心,故假節於魏王,而以身得察於燕。先王過舉,擢之乎賓客之中,而立之乎群臣之上,不謀於父兄,而使臣為亞卿。臣自以為奉令承教,可以幸無罪矣,故受命而不辭。「先王命之曰:『我有積怨深怒於齊,不量輕弱,而欲以齊為事。』臣對曰:『夫齊霸國之餘教也,而驟勝之遺事也,閑於兵甲,習於戰攻。王若欲攻之,則必舉天下而圖之。舉天下而圖之,莫徑於結趙矣。且又淮北、宋地,楚、魏之所同願也。趙若許,約楚、魏,宋盡力,四國攻之,齊可大破也。』先王曰:『善。』臣乃口受令,具符節,南使臣於趙。顧反命,起兵隨而攻齊。以天之道,先王之靈,河北之地,隨先王舉而有之於濟上。濟上之軍,奉令擊齊,大勝之。輕卒銳兵,長驅至國。齊王逃遁走莒,僅以身免。珠玉財寶,車甲珍器,盡收入燕。大呂陳於元英,故鼎反於曆室,齊器設於寧臺。薊丘之植,植於汶皇。自五伯以來,功未有及先王者也。先王以為愜其志,以臣為不頓命,故裂地而封之,使之得比乎小國諸侯。臣不佞,自以為奉令承教,可以幸無罪矣,故受命而弗辭。「臣聞賢明之君,功立而不廢,故著於春秋;蚤知之士,名成而不毀,故稱於後世。若先王之報怨雪恥,夷萬乘之強國,收八百歲之蓄積,及至棄群臣之日,餘令詔後嗣之遺義,執政任事之臣,所以能循法令,順庶孽者,施及萌隸,皆可以教於後世。「臣聞善作者,不必善成;善始者,不必善終。昔者五子胥說聽乎闔閭,故吳王遠跡至於郢。夫差弗是也,賜之鴟夷而浮之江。故吳王夫差不悟先論之可以立功,故沉子胥而不悔。子胥不蚤見主之不同量,故入江而不改。夫免身全功,以明先王之跡者,臣之上計也。離毀辱之非,墮先王之名者,臣之所大恐也。臨不測之罪,以幸為利者,義之所不敢出也。「臣聞古之君子,交絕不出惡聲;忠臣之去也,不潔其名。臣雖不佞,數奉教於君子矣。恐侍御者之親左右之說,而不察疏遠之行也。故敢以書報,唯君之留意焉。」出典:『戰國策』燕二「昌國君樂毅為燕昭王合五國之兵而攻齊」/維基文庫固定版 2458645 原文と版情報を確認 ↗
読み下し文
樂毅、燕の恵王に報ずる書の読み下し
第28段
昌國君樂毅燕の昭王の為に五國の兵を合はせて齊を攻め、七十餘城を下し、盡く之を郡縣として以て燕に屬せしむ。三城未だ下らざるに、燕の昭王死す。惠王即位し、齊人の反間を用ひ、樂毅を疑ひて、騎劫をして之に代はりて將たらしむ。樂毅趙に奔り、趙封じて以て望諸君と為す。齊の田單騎劫を欺詐し、卒に燕軍を敗り、復た七十城を收めて以て齊を復す。燕王悔い、趙の樂毅を用ひて燕の弊に承じて以て燕を伐たんことを懼る。
第29段
燕王乃ち人をして樂毅を讓めしめ、且つ之に謝して曰はく、「先王國を舉げて將軍に委ね、將軍燕の為に齊を破り、先王の讎に報じ、天下振動せざる莫し。寡人豈に敢へて一日として將軍の功を忘れんや。會々先王群臣を棄て、寡人新たに即位し、左右寡人を誤る。寡人の騎劫をして將軍に代はらしむる者は、將軍の久しく外に暴露するが為に、故に將軍を召して且つ休みて事を計らんとせるなり。將軍過ちて聽き、以て寡人と郄有りとし、遂に燕を捐てて趙に歸す。將軍自ら計を為すは則ち可なり、而れども亦何を以て先王の將軍を遇する所以の意に報ぜんや」と。
第30段
望諸君乃ち人をして書を獻じて燕王に報ぜしめて曰はく、「臣不佞にして、先王の教へを奉承して、以て左右の心に順ふこと能はず、斧質の罪に抵り、以て先王の明を傷つけ、而して又足下の義を害せんことを恐る。故に遁逃して趙に奔る。自ら負ふに不肖の罪を以てす、故に敢へて辭說を為さず。今王使者をして之が罪を數めしむ。臣侍御者の先王の臣を畜幸する所以の理を察せず、而して又臣の先王に事ふる所以の心を白らかにせざるを恐る。故に敢へて書を以て對ふ。
第31段
「臣聞く、賢聖の君は、祿を以て其の親を私せず、功多き者に之を授け、官を以て其の愛に隨はず、能く之に當たる者に之を處らしむ、と。故に能を察して官を授くる者は、功を成すの君なり。行ひを論じて交はりを結ぶ者は、名を立つるの士なり。臣學ぶ所の者を以て之を觀れば、先王の舉錯は、世に高きの心有り。故に節を魏王に假りて、身を以て燕に察せらるるを得たり。先王過ちて舉げ、之を賓客の中に擢きて、之を群臣の上に立て、父兄に謀らずして、臣をして亞卿と為さしむ。臣自ら以て令を奉じ教へを承くれば、以て幸ひに罪無かるべしと為す、故に命を受けて辭せず。
第32段
「先王之に命じて曰はく、『我積怨深怒を齊に有ち、輕弱を量らずして、齊を以て事と為さんと欲す』と。臣對へて曰はく、『夫れ齊は霸國の餘教にして、驟勝の遺事なり。兵甲に閑ひ、戰攻に習ふ。王若し之を攻めんと欲せば、則ち必ず天下を舉げて之を圖れ。天下を舉げて之を圖るは、趙を結ぶより徑なるは莫し。且つ又淮北・宋の地は、楚・魏の同じく願ふ所なり。趙若し許し、楚・魏を約し、宋力を盡くし、四國之を攻めば、齊大いに破るべきなり』と。先王曰はく、『善し』と。臣乃ち口づから令を受け、符節を具へ、南のかた臣を趙に使ひせしむ。顧みて命を反し、兵を起こして隨ひて齊を攻む。天の道、先王の靈を以て、河北の地、先王に隨ひて舉げて之を濟上に有つ。濟上の軍、令を奉じて齊を擊ち、大いに之に勝つ。輕卒銳兵、長驅して國に至る。齊王逃遁して莒に走り、僅かに身を以て免る。珠玉財寶、車甲珍器、盡く收めて燕に入る。大呂は元英に陳ねられ、故鼎は曆室に反り、齊器は寧臺に設けらる。薊丘の植は、汶皇に植う。五伯自り以來、功未だ先王に及ぶ者有らざるなり。先王以て其の志に愜ふと為し、臣を以て命を頓せずと為す、故に地を裂きて之を封じ、之をして小國の諸侯に比するを得しむ。臣不佞にして、自ら以て令を奉じ教へを承くれば、以て幸ひに罪無かるべしと為す、故に命を受けて辭せず。
第33段
「臣聞く、賢明の君は、功立ちて廢せず、故に春秋に著はれ、蚤知の士は、名成りて毀れず、故に後世に稱せらる、と。先王の怨みに報じ恥を雪ぎ、萬乘の強國を夷らげ、八百歲の蓄積を收め、群臣を棄つるの日に至るに及びて、餘令もて後嗣に詔するの遺義、執政任事の臣の、能く法令に循ひ、庶孽を順にする所以の者の若きは、施して萌隸に及び、皆以て後世に教ふべし。
第34段
「臣聞く、善く作る者は、必ずしも善く成さず、善く始むる者は、必ずしも善く終へず、と。昔者五子胥說闔閭に聽かれ、故に吳王遠く跡して郢に至る。夫差是とせざるなり、之に鴟夷を賜ひて之を江に浮かぶ。故に吳王夫差は先論の以て功を立つべきを悟らず、故に子胥を沉めて悔いず。子胥は蚤く主の量を同じうせざるを見ず、故に江に入りて改めず。夫れ身を免れ功を全うして、以て先王の跡を明らかにするは、臣の上計なり。毀辱の非に離り、先王の名を墮すは、臣の大いに恐るる所なり。不測の罪に臨みて、幸ひを以て利と為すは、義の敢へて出でざる所なり。
第35段
「臣聞く、古の君子は、交はり絕つも惡聲を出ださず、忠臣の去るや、其の名を潔くせず、と。臣不佞なりと雖も、數々教へを君子に奉ぜり。侍御者の左右の說に親しみて、疏遠の行ひを察せざるを恐るるなり。故に敢へて書を以て報ず。唯だ君の意を留めんことを」と。
第28段の注
- 読みいわゆる「樂毅報燕惠王書」。
第34段の注
- 本文「五子胥」の「五」は「伍」に通じ、伍子胥のこと。
第35段の注
- 読み「交絕不出惡聲」の句で知られる。
読み下しは、掲載した原文から新たに作成した下書きで、校閲前のものです。漢字は原文の字体を保ち、送り仮名は歴史的仮名遣いです。訓読には異なる読み方があります。
現代語訳
樂毅、燕の恵王に報ずる書を現代の言葉で読む
昌国君楽毅は燕の昭王のために五国の兵を合わせて斉を攻め、七十余城を落とし、すべてを郡県として燕に属させた。三城がまだ落ちないうちに、燕の昭王が死んだ。恵王が即位し、斉人の離間策にかかって楽毅を疑い、騎劫に代えて将とした。楽毅は趙に逃れ、趙は彼を封じて望諸君とした。斉の田単は騎劫を欺き、ついに燕軍を破り、七十城を取り戻して斉を回復した。燕王は後悔し、趙が楽毅を用いて、燕の疲弊につけ込んで燕を伐つことを恐れた。(第28段)
燕王はそこで人をやって楽毅を責め、同時に謝って言った。「先王は国を挙げて将軍に委ね、将軍は燕のために斉を破り、先王の仇に報い、天下は震え動いた。私がどうして一日でも将軍の功を忘れようか。ちょうど先王が群臣を棄て、私が新たに即位し、側近が私を誤らせた。私が騎劫を将軍に代えたのは、将軍が長く外にさらされているので、将軍を召してしばらく休ませ、事を相談しようとしたのだ。将軍は聞き誤って、私と隔たりがあると思い、燕を捨てて趙に帰した。将軍が自分のために計るのはよいとして、しかし、どうやって先王が将軍を遇した心に報いるのか。」(第29段)
望諸君はそこで人をやって書を奉じ、燕王に答えた。「私は不才で、先王の教えを受け継いで側近の心に従うことができず、斧と台の刑にあたる罪を負って、先王の明を傷つけ、またあなたの義を害するのではないかと恐れました。だから逃れて趙に走りました。自分で不肖の罪を負ったので、弁明はしませんでした。いま王は使者をやって私の罪を数えられました。お側の方々が、先王が臣を養い用いた道理を察せず、また私が先王に仕えた心を明らかにしないのではないかと恐れます。だから書をもってお答えします。(第30段)
私はこう聞いています。賢聖の君は、禄をもって身内をひいきせず功の多い者に授け、官をもって愛する者に従わず、それに当たる能のある者を置く、と。だから能を見て官を授ける者は功を成す君であり、行いを論じて交わりを結ぶ者は名を立てる士です。私が学んだことで見ますと、先王の行いには世に高い心がありました。だから魏王の使者の身分を借りて、身を燕に認めていただきました。先王は過分にも私を客の中から抜き、群臣の上に立て、父兄に相談せず、私を亞卿としました。私は命令を奉じ教えを受ければ幸いに罪はないと思い、命を受けて辞しませんでした。(第31段)
先王は私に命じました。『私は斉に深い怨みと怒りがある。弱小を顧みず、斉を討ちたい。』私は答えました。『斉は覇国の遺風を持ち、たびたび勝った遺産があります。兵に慣れ、戦いに習っています。王が攻めたいなら、必ず天下を挙げて図ってください。天下を挙げて図るには、趙と結ぶのが近道です。それに淮北と宋の地は楚と魏も望んでいます。趙が承知し、楚・魏と約し、宋が力を尽くし、四国で攻めれば、斉は大いに破れます。』先王は『よし』と言いました。私は口頭で命を受け、符節を備え、南へ趙に使いしました。帰って報告し、兵を起こして斉を攻めました。天の道と先王の霊によって、河北の地は先王に従って挙がり、済水のほとりに保ちました。済上の軍は命を奉じて斉を撃ち、大勝しました。軽装の精兵が長駆して斉の都に至り、斉王は逃げて莒に走り、身一つで免れました。珠玉財宝、車や鎧や珍器はすべて燕に収めました。大呂の鐘は元英に並べられ、昔の鼎は暦室に帰り、斉の器は寧台に設けられ、薊丘の植物は汶水のほとりに植えられました。五覇以来、功が先王に及ぶ者はありません。先王はその志にかなったとし、私が命を汚さなかったとして、土地を割いて封じ、小国の諸侯に比べられるようにしてくださいました。私は不才ですが、命令を奉じ教えを受ければ幸いに罪はないと思い、命を受けて辞しませんでした。(第32段)
私はこう聞いています。賢明の君は、功が立てば廃さず、だから春秋に記され、先見の士は、名が成れば毀れず、だから後世に称えられる、と。先王が怨みに報い恥を雪ぎ、万乗の強国を平らげ、八百年の蓄えを収め、群臣を棄てる日に至って、遺命で後継ぎに詔した遺義は、政治を執る臣が法令に従い、庶子たちを順わせ、民にまで及ぼし、みな後世に教えとなるものです。(第33段)
私はこう聞いています。よく作る者は必ずよく成し遂げるとは限らず、よく始める者は必ずよく終えるとは限らない、と。むかし伍子胥の説は闔閭に聞かれ、呉王は遠く郢まで進みました。夫差はそう思わず、鴟夷の革袋を与えて江に浮かべました。呉王夫差は、先見の論が功を立てることを悟らず、子胥を沈めて悔いませんでした。子胥は、主君の器が同じでないことを早く見抜けず、江に入っても改めませんでした。身を免れ功を全うして先王の跡を明らかにするのが、私の上策です。毀辱の非難を受けて先王の名を落とすのが、私の最も恐れることです。測りがたい罪に臨んで、幸運を利とするのは、義として出ないことです。(第34段)
私はこう聞いています。古の君子は、交わりを絶っても悪口を言わず、忠臣が去るときは、自分の名を潔くしようとはしない、と。私は不才ですが、たびたび君子に教えを受けました。お側の方々が側近の説に親しんで、遠ざけられた者の行いを察しないことを恐れます。だから書をもってお答えしました。ただ王のお心に留めていただきたい。」(第35段)
掲載した読み下し文の流れを追えるよう、平易な現代語に訳しています。現代の組織へそのまま適用するのではなく、本文の考え方を理解するための訳です。
WORDS & CONTEXT
語句と背景
樂毅(がくき)
魏から燕の昭王に仕え、斉を破った名将。燕では昌国君、趙では望諸君に封じられました。昭王に招かれた話は本データ 郭隗「先づ隗より始めよ」 にあります。
燕惠王
昭王の子。楽毅を疑って将を代え、斉に反撃されました。
騎劫(きこう)
楽毅の後任の将。斉の田単に破られました。
田單(でんたん)
斉の将。即墨を守り、火牛の計で燕軍を破ったと伝えられます。
反間(はんかん)
敵国に偽の情報を流して君臣を離間させる策。
亞卿(あけい)
上卿に次ぐ高位の卿。
伍子胥(ごししょ)
楚から呉に亡命し、闔閭に仕えて楚の都郢を落とした功臣。次の王夫差に疎まれて自殺を命じられ、死体は革袋(鴟夷)に入れて江に捨てられたと伝えられます。本データの読み下しの注にも「五子胥」は伍子胥であることを記しています。
交絕不出惡聲
交わりを絶っても悪口を言わない。この手紙から出た言葉です。
背景
燕王の手紙と楽毅の返書の対比が、この話の読みどころです。燕王は、将を代えたのは休ませるためだったと言い訳し、将軍が「聞き誤った」と責任を楽毅に置き、最後に先王の恩で縛ろうとします。楽毅はこれに一つも反論しません。先王の明を語り、斉を破った功を先王のものとし、趙へ去ったのは先王の名を守るためだと言い、燕王への非難を一言も書かずに終えます。相手を責めずに、相手の言い分をすべて無効にする手紙です。
伍子胥の例の使い方も巧みです。闔閭に聞かれ、夫差に殺された子胥は、君主が代わって臣が殺される例そのものです。楽毅は「子胥は主君の器が同じでないことを早く見抜けなかった」と言います。自分は見抜いて去った、と言っているのですが、そうとは書きません。
本文の解説
相手を責めずに、相手の言い分をすべて無効にする
燕の昭王のために五国の兵を合わせて斉を攻め、七十余城を落とした楽毅(がくき)は、昭王が死んで恵王が立つと、斉の離間策で疑われ、将を騎劫に代えられます。楽毅は趙に逃れ、趙は彼を望諸君に封じます。斉の田単は騎劫を破り、七十城を取り戻しました。燕王は後悔し、楽毅が趙の兵で燕を攻めることを恐れます(第28段)。燕王は使いを送って楽毅を責め、同時に言い訳をします。騎劫に代えたのは将軍を休ませるためだった、将軍が誤解して趙へ去ったのは、先王の恩に報いることではない、と(第29段)。楽毅はこれに答える手紙を送ります。先王は能力を見て自分を抜擢した(第31段)。斉を討つ策を自分が立て、先王はその功で自分を封じた(第32段)。賢明な君は功を立てた者を廃さない(第33段)。伍子胥は呉王闔閭には聞かれたが、夫差には殺された。身を全うして先王の功を明らかにするのが上策で、先王の名を傷つけることが最も恐ろしい(第34段)。「古の君子は交わりを絶っても悪口を言わず、忠臣は去っても自分の名を潔くしようとしない」と結びます(第35段)。
「交絶不出悪声」の出典です。
原文を読む
- 「惠王即位し、齊人の反間を用ひ、樂毅を疑ひて、騎劫をして之に代はりて將たらしむ」(第28段)――話の起点です。昭王が死んだ直後、斉の離間策で楽毅は将を解かれます。七十城を落とした功が、一人の君主の交代で消えました。
- 「將軍自ら計を為すは則ち可なり、而れども亦何を以て先王の將軍を遇する所以の意に報ぜんや」(第29段)――燕王の手紙の結びです。責めと言い訳を混ぜたうえで、「先王の恩に報いていない」と道義で縛ろうとします。
- 「賢聖の君は、祿を以て其の親を私せず、功多き者に之を授け、官を以て其の愛に隨はず、能く之に當たる者に之を處らしむ」(第31段)――楽毅の答えの第一歩です。先王の抜擢は能力によるものだった、と言うことで、自分の功と先王の明の両方を立てます。
- 「五伯自り以來、功未だ先王に及ぶ者有らざるなり」(第32段)――斉を破った功を、楽毅は自分の功ではなく「先王の功」として語ります。手紙全体で、楽毅は自分を誇らず、先王を立て続けます。
- 「善く作る者は、必ずしも善く成さず、善く始むる者は、必ずしも善く終へず」(第34段)――伍子胥の譬えの前置きです。始めた者が終わりまで見届けられるとは限らない。自分が斉を落とし切れなかったことへの、間接の弁明でもあります。
- 「夫れ身を免れ功を全うして、以て先王の跡を明らかにするは、臣の上計なり」(第34段)――趙へ去った理由です。燕に残って殺されれば、先王が無実の臣を用いたことになり、先王の名を傷つける。だから去った、と。
- 「古の君子は、交はり絕つも惡聲を出ださず、忠臣の去るや、其の名を潔くせず」(第35段)――結びの句で、「交絶不出悪声」として知られます。燕王を非難せず、自分の潔白も声高に言わない。この手紙そのものが、その言葉の実践になっています。
要点
- 斉を破った楽毅が、燕の恵王に疑われて趙へ去り、恵王の責めに答えて手紙を書いた話です。「交絶不出悪声」の出典です。
- 楽毅は燕王を一言も非難せず、先王の明と功を語り、去ったのは先王の名を守るためだと説きます。相手を責めずに相手の言い分を無効にする手紙です。
- 伍子胥の例は、君主が代わって功臣が殺される型として引かれ、自分は見抜いて去った、と言外に語っています。
INTERPRETATION
AI時代の経営への読み替え
引き継ぎの記録、功績の記録はAIで残せます。しかし代替わりのときに疑いが生まれるのは、記録がないからではなく、先代の約束を新しい経営者が知らない、あるいは守らないからです。楽毅は「先王の遺命」を手紙で繰り返し語っています。
去る側にとっては、去り方が次の仕事を決めます。悪声を出した人は、どの業界でも長く覚えられます。残る側にとっては、斉の「反間」、つまり離間の声を見抜けるかどうかです。恵王は見抜けず、七十城を失いました。
LODGING & TOURISM
宿泊・観光の現場例
二代目が、先代の時代から支配人を務めた人を「古い」と外し、その人が近隣の競合に移って客を連れて行った、という例があったとします。楽毅が趙に行ったあと、燕王が恐れたのはまさにそれでした。
逆に、先代の功臣を二代目が改めて「国士」として遇し、代替わりを支えてもらった施設は、数年で安定します。手紙を書かせる前に、約束を守ることです。
現場例は、支援内容を考えるための提案例であり、実在する顧客施設の運用実績ではありません。
TRY TOMORROW
明日から試せる問い・行動
去られる前に、三つを確かめる
- 先代の功臣を、自分はどう扱っているか。先代の約束を知っているか。
- 反間はないか。功臣を疑わせる声の出どころを確かめたか。
- 自分が去るとき、どんな言葉を残すか。「悪声を出さず」と言えるか。
楽毅の手紙は、去る側にも残る側にも、読み返す価値があります。
SOURCE & NOTES
出典・版・注記
- 原文:維基文庫「戰國策 (士禮居叢書本)/燕/二」固定版 2458645(ページ、固定版、履歴)。原著(劉向 編『戰國策』)はパブリックドメイン。電子テキストの編集上の寄与は CC BY-SA 4.0(https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/)。
- 原文への変更:本文を抽出し、姚本・鮑本・札記等の注釈と注釈行を除去。策ごとの見出しをsection_titleに分離し、校記をnotesへ分離。
- 読み下し文:本データで原文から新たに作成したもので、既存の訳注書の転載ではない。状態:draft_unreviewed(未校閲)。CC BY-SA 4.0。
読み下し・現代語訳・本文解説・経営解釈:宿泊DXラボ。読み下し・現代語訳・解説は原文から新たに作成した下書きで、校閲前のものです。古典の訓読と解釈には異なる見方があります。
編集:宿泊DXラボ。