MANAGEMENT ISSUE

今回の経営課題

入社二年目のスタッフがSNSの運用やAIを使った多言語対応を提案する。ベテランは「お客様はそういうものを求めていない」と退ける。提案の中身を見る前に、年齢と経験で判断してしまう場面です。

甘羅は叱られて「試してごらんなさい。なぜいきなり叱るのですか」と言い返しました。呂不韋が試させたから、張唐は動き、趙は城を割きました。試す前に退けていたら、何も起きていません。

漢文原文

『戰國策』秦五「文信侯欲攻趙以廣河間」の原文

文信侯欲攻趙以廣河間,使剛成君蔡澤事燕三年,而燕太子質於秦。文信侯因請張唐相燕,欲與燕共伐趙,以廣河間之地。張唐辭曰:「燕者必徑於趙,趙人得唐者,受百里之地。」文信侯去而不快。少庶子甘羅曰:「君侯何不快甚也?」文信侯曰:「吾令剛成君蔡澤事燕三年,而燕太子已入質矣。今吾自請張卿相燕,而不肯行。」甘羅曰:「臣行之。」文信君叱去曰:「我自行之而不肯,汝安能行之也?」甘羅曰:「夫項櫜生七歲而為孔子師,今臣生十二歲於茲矣!君其試臣,奚以遽言叱也?」甘羅見張唐曰:「卿之功,孰與武安君?」唐曰:「武安君戰勝攻取,不知其數;攻城墮邑,不知其數。臣之功不如武安君也。」甘羅曰:「卿明知功之不如武安君歟?」曰:「知之。」「應侯之用秦也,孰與文信侯專?」曰:「應侯不如文信侯專。」曰:「卿明知為不如文信侯專歟?」曰:「知之。」甘羅曰:「應侯欲伐趙,武安君難之,去咸陽七里,絞而殺之。今文信侯自請卿相燕,而卿不肯行,臣不知卿所死之處矣!」唐曰:「請因孺子而行!」令庫具車,廄具馬,府具幣,行有日矣。甘羅謂文信侯曰:「借臣車五乘,請為張唐先報趙。」見趙王,趙王郊迎。謂趙王曰:「聞燕太子丹之入秦與?」曰:「聞之。」「聞張唐之相燕與?」曰:「聞之。」「燕太子入秦者,燕不欺秦也。張唐相燕者,秦不欺燕也。秦、燕不相欺,則伐趙,危矣。燕、秦所以不相欺者,無異故,欲攻趙而廣河間也。今王齎臣五城以廣河間,請歸燕太子,與強趙攻弱燕。」趙王立割五城以廣河間,歸燕太子。趙攻燕,得上谷三十六縣,與秦什一。

出典:『戰國策』秦五「文信侯欲攻趙以廣河間」/維基文庫固定版 2458653 原文と版情報を確認 ↗

読み下し文

十二歳の甘羅の読み下し

第14段

文信侯趙を攻めて以て河間を廣めんと欲し、剛成君蔡澤をして燕に事へしむること三年、而して燕の太子秦に質たり。文信侯因りて張唐の燕に相たらんことを請ひ、燕と共に趙を伐ちて、以て河間の地を廣めんと欲す。張唐辭して曰はく、「燕は必ず趙を徑る。趙人唐を得る者は、百里の地を受く」と。文信侯去りて快からず。少庶子甘羅曰はく、「君侯何ぞ快からざること甚だしきや」と。文信侯曰はく、「吾剛成君蔡澤をして燕に事へしむること三年、而して燕の太子已に入質せり。今吾自ら張卿の燕に相たらんことを請ふに、而も行くを肯んぜず」と。甘羅曰はく、「臣之を行かしめん」と。文信君叱りて去らしめて曰はく、「我自ら之を行かしめんとして肯んぜず、汝安んぞ能く之を行かしめんや」と。甘羅曰はく、「夫れ項櫜は生まれて七歲にして孔子の師と為る。今臣生まれて十二歲、茲に於いてす。君其れ臣を試みよ、奚を以て遽かに叱ると言ふや」と。

第15段

甘羅張唐に見えて曰はく、「卿の功は、武安君と孰れぞ」と。唐曰はく、「武安君は戰ひ勝ち攻め取ること、其の數を知らず。城を攻め邑を墮すこと、其の數を知らず。臣の功は武安君に如かざるなり」と。甘羅曰はく、「卿明らかに功の武安君に如かざるを知るか」と。曰はく、「之を知る」と。「應侯の秦に用ひらるるや、文信侯と孰れか專らなる」と。曰はく、「應侯は文信侯の專らなるに如かず」と。曰はく、「卿明らかに文信侯の專らなるに如かざるを為すを知るか」と。曰はく、「之を知る」と。甘羅曰はく、「應侯趙を伐たんと欲するに、武安君之を難ず。咸陽を去ること七里にして、絞りて之を殺す。今文信侯自ら卿の燕に相たらんことを請ふに、而も卿行くを肯んぜず。臣卿の死する所の處を知らず」と。唐曰はく、「請ふ孺子に因りて行かん」と。庫に車を具へ、廄に馬を具へ、府に幣を具へしめ、行くこと日有り。甘羅文信侯に謂ひて曰はく、「臣に車五乘を借せ、請ふ張唐の為に先づ趙に報ぜん」と。

第16段

趙王に見ゆ。趙王郊迎す。趙王に謂ひて曰はく、「燕の太子丹の秦に入るを聞くか」と。曰はく、「之を聞く」と。「張唐の燕に相たるを聞くか」と。曰はく、「之を聞く」と。「燕の太子秦に入るは、燕秦を欺かざるなり。張唐燕に相たるは、秦燕を欺かざるなり。秦・燕相欺かざれば、則ち趙を伐つ、危ふし。燕・秦の相欺かざる所以は、異故無し、趙を攻めて河間を廣めんと欲するなり。今王臣に五城を齎して以て河間を廣めば、請ふ燕の太子を歸し、強趙と弱燕を攻めん」と。趙王立ちどころに五城を割きて以て河間を廣め、燕の太子を歸す。趙燕を攻め、上谷三十六縣を得、秦に什の一を與ふ。

第14段の注

  • 読み十二歳の甘羅の故事。
  • 本文「項櫜」は通行本に「項橐」とも書く。孔子の師とされた伝説上の童子。

読み下しは、掲載した原文から新たに作成した下書きで、校閲前のものです。漢字は原文の字体を保ち、送り仮名は歴史的仮名遣いです。訓読には異なる読み方があります。

現代語訳

十二歳の甘羅を現代の言葉で読む

文信侯は趙を攻めて河間を広げようとし、剛成君蔡沢を燕に仕えさせること三年、燕の太子は秦に人質となった。文信侯はそこで張唐を燕の宰相にすることを願い、燕とともに趙を伐って河間の地を広げようとした。張唐は辞退して言った。「燕へは必ず趙を通ります。趙の人は私を捕らえた者に百里の地を与えるとしています。」文信侯は去って不機嫌であった。少庶子の甘羅が言った。「君侯はなぜそれほど不機嫌なのですか。」文信侯は言った。「私は剛成君蔡沢を燕に仕えさせること三年で、燕の太子はすでに人質に入った。いま私自身が張卿に燕の宰相になれと頼んだのに、行こうとしない。」甘羅は言った。「私が行かせましょう。」文信侯は叱って追い払った。「私が自分で頼んでも行かないのに、お前がどうして行かせられる。」甘羅は言った。「項櫜は七歳で孔子の師となりました。私はいま十二歳です。試してごらんなさい。なぜいきなり叱るのですか。」(第14段)

甘羅は張唐に会って言った。「あなたの功と武安君と、どちらが大きいですか。」張唐は言った。「武安君は戦えば勝ち、攻めれば取り、その数は知れない。城を攻め邑を落とすこと、数知れない。私の功は武安君に及ばない。」甘羅は言った。「あなたは功が武安君に及ばないことをはっきり知っているのですね。」「知っている。」「応侯が秦で用いられたのと、文信侯と、どちらが権力を握っていますか。」「応侯は文信侯ほどではない。」「あなたは文信侯の権力に及ばないことをはっきり知っているのですね。」「知っている。」甘羅は言った。「応侯が趙を伐とうとしたとき、武安君はこれを難じ、咸陽を出て七里のところで、絞め殺されました。いま文信侯が自ら、あなたに燕の宰相になれと頼んでいるのに、あなたは行こうとしない。私はあなたがどこで死ぬのか分かりません。」張唐は言った。「この子どもの言うとおり行こう。」倉に車を、厩に馬を、府に贈り物を用意させ、出発の日が決まった。甘羅は文信侯に言った。「私に車五乗を貸してください。張唐のために先に趙へ知らせに行きます。」(第15段)

趙王に会うと、趙王は郊外まで迎えた。甘羅は趙王に言った。「燕の太子丹が秦に入ったことを聞いていますか。」「聞いている。」「張唐が燕の宰相になることを聞いていますか。」「聞いている。」「燕の太子が秦に入ったのは、燕が秦をあざむかないということです。張唐が燕の宰相になるのは、秦が燕をあざむかないということです。秦と燕が互いにあざむかないなら、趙を伐つことになり、危ないでしょう。燕と秦があざむき合わない理由は、ほかでもなく、趙を攻めて河間を広げたいからです。いま王が私に五城を与えて河間を広げてくだされば、燕の太子を返し、強い趙とともに弱い燕を攻めましょう。」趙王はすぐに五城を割いて河間を広げ、燕の太子を返した。趙は燕を攻めて上谷の三十六県を得、秦にその十分の一を与えた。(第16段)

掲載した読み下し文の流れを追えるよう、平易な現代語に訳しています。現代の組織へそのまま適用するのではなく、本文の考え方を理解するための訳です。

WORDS & CONTEXT

語句と背景

文信侯(ぶんしんこう)

呂不韋(りょふい)。秦の荘襄王と始皇帝の初期に宰相を務めました。

甘羅(かんら)

呂不韋の家臣。この話で十二歳とされ、「十二歳の使者」として知られます。甘茂の孫と伝えられます(『史記』樗里子甘茂列伝、維基文庫『史記』巻七十一、固定版 2621152)。

剛成君蔡沢(さいたく)

もと秦の宰相。范雎の後任です。

張唐(ちょうとう)

秦の将。

武安君(ぶあんくん)

白起(はくき)。長平の戦いで趙軍を破った秦の名将。『史記』白起王翦列伝は、咸陽を出て杜郵に至ったところで秦王から剣を賜り自殺した、と伝えます(維基文庫『史記』巻七十三、固定版 7909285)。

応侯(おうこう)

范雎(はんしょ)。秦の昭襄王の宰相です。

河間(かかん)

趙の地。黄河と他の川の間の地域です。

項櫜(こうたく)

伝説上の童子。七歳で孔子の師になったとされます。通行本では「項橐」とも書きます。

燕の太子丹

のちに荊軻を秦王暗殺に送った人物です(本データ 荊軻、秦王を刺す)。

背景

少年が老臣を動かす話として人気がありますが、甘羅のやり方そのものは穏やかではありません。張唐には死をもって脅し、趙には燕を売る形で五城を取り、燕には太子を返す代わりに攻め込みます。呂不韋が「燕とともに趙を伐つ」つもりだった計画は、甘羅の手で「趙とともに燕を伐つ」に反転しています。目的は河間の地であって、味方が燕でも趙でも構わない。戦国の外交の冷たさがよく出ています。

人質として秦に入った燕の太子丹は、のちに秦王の暗殺を企てます(荊軻の話)。この話で返された太子が、その後の歴史の伏線になっていることも、あわせて読むと味わいが増します。

本文の解説

相手に事実を一つずつ認めさせてから、結論を言う

秦の宰相文信侯(呂不韋)は趙を攻めて河間の地を広げようと考え、燕と結ぶために張唐(ちょうとう)を燕の宰相として送ろうとします。張唐は「燕へ行くには趙を通る。趙は私の首に百里の地をかけている」と断り、呂不韋は不機嫌になります。そこへ十二歳の家臣甘羅(かんら)が「私が行かせます」と言い出し、叱られても引き下がりません(第14段)。甘羅は張唐に会い、「あなたの功は武安君白起に及びますか」「呂不韋の権勢は応侯范雎より強いですか」と問い、応侯に逆らった白起が咸陽を出て七里で殺されたことを挙げて、「あなたが死ぬ場所が分かりません」と言います。張唐は出発を決めます(第15段)。さらに甘羅は趙に先乗りし、趙王に「燕と秦が組めば趙は危ない。五城を割いて河間を広げれば燕の太子を返し、趙とともに燕を攻めましょう」と説きます。趙は五城を割き、燕を攻めて三十六県を得ました(第16段)。

原文を読む

  • 「夫れ項櫜は生まれて七歲にして孔子の師と為る。今臣生まれて十二歲、茲に於いてす」(第14段)――叱られた甘羅の切り返しです。年齢で軽んじられたことに、年齢の先例で答えます。
  • 「卿明らかに功の武安君に如かざるを知るか」(第15段)――甘羅は結論を言う前に、張唐自身に二つの事実を認めさせます。功は白起に及ばず、呂不韋の権勢は范雎より強い。認めさせてから、白起の死を出します。
  • 「臣卿の死する所の處を知らず」(第15段)――脅しの一句です。白起は范雎に逆らって殺された。あなたは范雎より強い呂不韋に逆らっている、と。
  • 「秦・燕相欺かざれば、則ち趙を伐つ、危ふし」(第16段)――趙王への説得です。燕と秦の提携は趙を狙うものだと示し、それを逆手に取って「趙と秦で燕を攻めよう」と持ちかけます。
  • 「趙王立ちどころに五城を割きて以て河間を廣め、燕の太子を歸す」(第16段)――結末は速いです。呂不韋が三年かけて準備した燕との提携を、甘羅は趙に五城を出させる道具に変え、しかも燕を見捨てる形で片づけます。

要点

  • 十二歳の甘羅が、張唐を白起の死で脅して燕行きを承知させ、趙には五城を割かせ、燕を攻めさせた話です。
  • 呂不韋の「燕と組んで趙を攻める」計画を、甘羅は「趙と組んで燕を攻める」に反転させました。目的は河間の地だけです。
  • 返された燕の太子丹は、のちに荊軻を秦に送ります。

INTERPRETATION

AI時代の経営への読み替え

AIを使い慣れた若手は、経営の文脈や地域の事情を知らないことが多いものです。しかし甘羅の説得を見ると、彼が使ったのは知識ではなく、問いの立て方でした。「あなたの功は白起に及ぶか」「呂不韋の権勢は范雎より強いか」と、相手に事実を一つずつ認めさせてから結論を言う。若手にはこの種の鋭さがあることがあります。

経営者の仕事は、若手の提案を正しいかどうかで裁くことではなく、小さく試す場を作ることです。一つのプランで一か月、一つの客室タイプで一シーズン。試した結果で判断すれば、年齢で判断しなくてすみます。

LODGING & TOURISM

宿泊・観光の現場例

若手がAIで作った英語・中国語の館内案内を「誤訳があったら困る」と退けた施設があったとします。まず一枚の案内で試し、外国人客の反応と誤りの有無を確かめてから広げれば、損はほとんどありません。

逆に、甘羅のやり方は穏やかではありません。張唐を死で脅し、燕を見捨てて趙と組みました。若手の提案が鋭いほど、誰を犠牲にする案かも見ておく必要があります。試す場を与えることと、結果に責任を持つことは、経営者の側に残ります。

現場例は、支援内容を考えるための提案例であり、実在する顧客施設の運用実績ではありません。

TRY TOMORROW

明日から試せる問い・行動

退けた若手の提案を一つ、試す

  1. 却下した理由は、年齢と経験か、中身か。正直に分けて書く。
  2. 小さく試せる範囲はどこか。一プラン、一客室タイプ、一か月。
  3. 結果を誰がどう評価するか。試す前に決めておく。

「試してごらんなさい」と言われる前に、こちらから言えると理想です。

SOURCE & NOTES

出典・版・注記

  • 原文:維基文庫「戰國策 (士禮居叢書本)/秦/五」固定版 2458653(ページ、固定版、履歴)。原著(劉向 編『戰國策』)はパブリックドメイン。電子テキストの編集上の寄与は CC BY-SA 4.0(https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/)。
  • 原文への変更:本文を抽出し、姚本・鮑本・札記等の注釈と注釈行を除去。策ごとの見出しをsection_titleに分離し、校記をnotesへ分離。
  • 読み下し文:本データで原文から新たに作成したもので、既存の訳注書の転載ではない。状態:draft_unreviewed(未校閲)。CC BY-SA 4.0。

読み下し・現代語訳・本文解説・経営解釈:宿泊DXラボ。読み下し・現代語訳・解説は原文から新たに作成した下書きで、校閲前のものです。古典の訓読と解釈には異なる見方があります。

編集:宿泊DXラボ。