MANAGEMENT ISSUE
今回の経営課題
資金繰りが苦しい中での大改装。知人の紹介で持ち込まれた一発勝負の投資。追い込まれた経営者は、一度の大きな行動で状況を変えたくなります。太子丹がそうでした。太傅の鞫武は「秦の逆鱗に触れるな、諸国と結ぶ長期の策を取れ」と言いましたが、太子は待てませんでした。
荊軻の計画は、第一に秦王を脅して土地を返させること、第二に刺殺することでした。荊軻は第一目標に忠実で、だから失敗したと言い残します。計画の中身より先に、何を賭けているかを見る話です。
漢文原文
『戰國策』燕三「燕太子丹質於秦亡歸」の原文
燕太子丹質於秦,亡歸。見秦且滅六國,兵以臨易水,恐其禍至。太子丹患之,謂其太傅鞫武曰:「燕、秦不兩立,願太傅幸而圖之。」武對曰:「秦地遍天下,威脅韓、魏、趙氏,則易水以北,未有所定也。柰何以見陵之怨,欲排其逆鱗哉?」太子曰:「然則何由?」太傅曰:「請入,圖之。」居之有間,樊將軍亡秦之燕,太子容之。太傅鞫武諫曰:「不可。夫秦王之暴,而積怨於燕,足為寒心,又況聞樊將軍之在乎!是以委肉當餓虎之蹊,禍必不振矣!雖有管、晏,不能為謀。願太子急遣樊將軍入匈奴以滅口。請西約三晉,南連齊、楚,北講於單于,然後乃可圖也。」太子丹曰:「太傅之計,曠日彌久,心惛然,恐不能須臾。且非獨於此也。夫樊將軍困窮於天下,歸身於丹,丹終不迫於強秦,而棄所哀憐之交置之匈奴,是丹命固卒之時也。願太傅更慮之。」鞫武曰:「燕有田光先生者,其智深,其勇沉,可與之謀也。」太子曰:「願因太傅交於田先生,可乎?」鞫武曰:「敬諾。」出見田光,道太子曰:「願圖國事於先生。」田光曰:「敬奉教。」乃造焉。太子跪而逢迎,卻行為道,跪而拂席。田先生坐定,左右無人,太子避席而請曰:「燕、秦不兩立,願先生留意也。」田光曰:「臣聞騏驥盛壯之時,一日而馳千里。至其衰也,駑馬先之。今太子聞光壯盛之時,不知吾精已消亡矣。雖然,光不敢以乏國事也。所善荊軻,可使也。」太子曰:「願因先生得願交於荊軻,可乎?」田光曰:「敬諾。」即起,趨出。太子送之至門,曰:「丹所報,先生所言者,國大事也,願先生勿泄也。」田光俛而笑曰:「諾。」僂行見荊軻,曰:「光與子相善,燕國莫不知。今太子聞光壯盛之時,不知吾形已不逮也,幸而教之曰:『燕、秦不兩立,願先生留意也。』光竊不自外,言足下於太子,願足下過太子於宮。」荊軻曰:「謹奉教。」田光曰:「光聞長者之行,不使人疑之,今太子約光曰:『所言者,國之大事也,願先生勿泄也。』是太子疑光也。夫為行使人疑之,非節俠士也。」欲自殺以激荊軻,曰:「願足下急過太子,言光已死,明不言也。」遂自剄而死。軻見太子,言田光已死,明不言也。太子再拜而跪,膝下行流涕,有頃而後言曰:「丹所請田先生無言者,欲以成大事之謀,今田先生以死明不泄言,豈丹之心哉?」荊軻坐定,太子避席頓首曰:「田先生不知丹不肖,使得至前,願有所道,此天所以哀燕不棄其孤也。今秦有貪饕之心,而欲不可足也。非盡天下之地,臣海內之王者,其意不饜。今秦已虜韓王,盡納其地,又舉兵南伐楚,北臨趙。王翦將數十萬之眾臨漳、鄴,而李信出太原、雲中。趙不能支秦,必入臣。入臣,則禍至燕。燕小弱,數困於兵,今計舉國不足以當秦。諸侯服秦,莫敢合從。丹之私計,愚以為誠得天下之勇士,使於秦,窺以重利,秦王貪其贄,必得所願矣。誠得劫秦王,使悉反諸侯之侵地,若曹沫之與齊桓公,則大善矣;則不可,因而刺殺之。彼大將擅兵於外,而內有大亂,則君臣相疑。以其間諸侯,諸侯得合從,其償破秦必矣。此丹之上願,而不知所以委命,唯荊卿留意焉。」久之,荊軻曰:「此國之大事,臣駑下,恐不足任使。」太子前頓首,固請無讓。然後許諾。於是尊荊軻為上卿,舍上舍,太子日日造問,供太牢異物,間進車騎美女,恣荊軻所欲,以順適其意。久之,荊卿未有行意。秦將王翦破趙,虜趙王,盡收其地,進兵北略地,至燕南界。太子丹恐懼,乃請荊卿曰:「秦兵旦暮渡易水,則雖欲長侍足下,豈可得哉?」荊卿曰:「微太子言,臣願得謁之。今行而無信,則秦未可親也。夫今樊將軍,秦王購之金千斤,邑萬家。誠能得樊將軍首,與燕督亢之地圖獻秦王,秦王必說見臣,臣乃得有以報太子。」太子曰:「樊將軍以窮困來歸丹,丹不忍以己之私,而傷長者之意,願足下更慮之。」荊軻知太子不忍,乃遂私見樊於期曰:「秦之遇將軍,可謂深矣。父母宗族,皆為戮沒。今聞購將軍之首,金千斤,邑萬家,將柰何?」樊將軍仰天太息流涕曰:「吾每念,常痛於骨髓,顧計不知所出耳。」軻曰:「今有一言,可以解燕國之患,而報將軍之仇者,何如?」樊於期乃前曰:「為之柰何?」荊軻曰:「願得將軍之首以獻秦,秦王必喜而善見臣,臣左手把其袖,而右手揕抗其胸,然則將軍之仇報,而燕國見陵之恥除矣。將軍豈有意乎?」樊於期偏袒扼腕而進曰:「此臣日夜切齒拊心也,乃今得聞教。」遂自刎。太子聞之,馳往,伏屍而哭,極哀。既已,無可柰何,乃遂收盛樊於期之首,函封之。於是,太子預求天下之利匕首,得趙人徐夫人之匕首,取之百金,使工以藥淬之,以試人,血濡縷,人無不立死者。乃為裝遣荊軻。燕國有勇士秦武陽,年十二,殺人,人不敢與忤視。乃令秦武陽為副。荊軻有所待,欲與俱,其人居遠未來,而為留待。頃之未發。太子遲之,疑其有改悔,乃復請之曰:「日以盡矣,荊卿豈無意哉?丹請先遣秦武陽。」荊軻怒,叱太子曰:「今日往而不反者,豎子也!今提一匕首入不測之強秦,僕所以留者,待吾客與俱。今太子遲之,請辭決矣!」遂發。太子及賓客知其事者,皆白衣冠以送之。至易水上,既祖,取道。高漸離擊筑,荊軻和而歌,為變徵之聲,士皆垂淚涕泣。又前而為歌曰:「風蕭蕭兮易水寒,壯士一去兮不復還!」復為忼慨羽聲,士皆瞋目,髮盡上指冠。於是荊軻遂就車而去,終已不顧。既至秦,持千金之資幣物,厚遺秦王寵臣中庶子蒙嘉。嘉為先言於秦王曰:「燕王誠振畏慕大王之威,不敢興兵以拒大王,願舉國為內臣,比諸侯之列,給貢職如郡縣,而得奉守先王之宗廟。恐懼不敢自陳,謹斬樊於期頭,及獻燕之督亢之地圖,函封,燕王拜送于庭,使使以聞大王。唯大王命之。」秦王聞之,大喜。乃朝服,設九賓,見燕使者咸陽宮。荊軻奉樊於期頭函,而秦武陽奉地圖匣,以次進至陛下。秦武陽色變振恐,群臣怪之,荊軻顧笑武陽,前為謝曰:「北蠻夷之鄙人,未嘗見天子,故振慴,願大王少假借之,使畢使於前。」秦王謂軻曰:「起,取武陽所持圖。」軻既取圖奉之,發圖,圖窮而匕首見。因左手把秦王之袖,而右手持匕首揕抗之。未至身,秦王驚,自引而起,絕袖。拔劍,劍長,摻其室。時怨急,劍堅,故不可立拔。荊軻逐秦王,秦王還柱而走。群臣驚愕,卒起不意,盡失其度。而秦法,群臣侍殿上者,不得持尺兵。諸郎中執兵,皆陳殿下,非有詔不得上。方急時,不及召下兵,以故荊軻逐秦王,而卒惶急無以擊軻,而乃以手共搏之。是時侍醫夏無且,以其所奉藥囊提軻。秦王之方還柱走,卒惶急不知所為,左右乃曰:「王負劍!王負劍!」遂拔以擊荊軻,斷其左股。荊軻廢,乃引其匕首提秦王,不中,中柱。秦王復擊軻,被八創。軻自知事不就,倚柱而笑,箕踞以罵曰:「事所以不成者,乃欲以生劫之,必得約契以報太子也。」左右既前斬荊軻,秦王目眩良久。而論功賞群臣及當坐者,各有差。而賜夏無且黃金二百鎰,曰:「無且愛我,乃以藥囊提軻也。」於是,秦大怒燕,益發兵詣趙,詔王翦軍以伐燕。十月而拔燕薊城。燕王喜、太子丹等,皆率其精兵東保於遼東。秦將李信追擊燕王,王急,用代王嘉計,殺太子丹,欲獻之秦。秦復進兵攻之。五歲而卒滅燕國,而虜燕王喜。秦兼天下。其後荊軻客高漸離以擊筑見秦皇帝,而以筑擊秦皇帝,為燕報仇,不中而死。出典:『戰國策』燕三「燕太子丹質於秦亡歸」/維基文庫固定版 2458643 原文と版情報を確認 ↗
読み下し文
荊軻、秦王を刺すの読み下し
第8段
燕の太子丹秦に質たりしが、亡げて歸る。秦の且に六國を滅ぼさんとし、兵以て易水に臨むを見て、其の禍の至らんことを恐る。太子丹之を患ひ、其の太傅鞫武に謂ひて曰はく、「燕・秦は兩立せず。願はくは太傅幸ひにして之を圖れ」と。武對へて曰はく、「秦の地天下に遍く、韓・魏・趙氏を威脅せば、則ち易水以北、未だ定まる所有らざるなり。柰何ぞ陵がれたるの怨みを以て、其の逆鱗を排さんと欲するや」と。太子曰はく、「然らば則ち何に由らん」と。太傅曰はく、「請ふ入りて、之を圖らん」と。
第9段
之に居ること間有りて、樊將軍秦を亡げて燕に之く。太子之を容る。太傅鞫武諫めて曰はく、「不可なり。夫れ秦王の暴にして、怨みを燕に積むは、寒心するに足る。又況んや樊將軍の在るを聞くをや。是れ肉を委てて餓虎の蹊に當つるを以てなり、禍必ず振はず。管・晏有りと雖も、謀を為すこと能はず。願はくは太子急ぎ樊將軍を遣はして匈奴に入れて以て口を滅せよ。請ふ西は三晉を約し、南は齊・楚を連ね、北は單于に講じ、然る後に乃ち圖るべきなり」と。太子丹曰はく、「太傅の計は、曠日彌久にして、心惛然たり、須臾も能はざらんことを恐る。且つ獨り此に於いてするのみに非ざるなり。夫れ樊將軍天下に困窮して、身を丹に歸す。丹終に強秦に迫られて、哀憐する所の交はりを棄てて之を匈奴に置かず。是れ丹の命固より卒はるの時なり。願はくは太傅更めて之を慮れ」と。鞫武曰はく、「燕に田光先生なる者有り、其の智深く、其の勇沉なり、之と謀るべきなり」と。太子曰はく、「願はくは太傅に因りて田先生に交はらん、可ならんか」と。鞫武曰はく、「敬みて諾す」と。出でて田光に見え、太子を道ひて曰はく、「願はくは國事を先生に圖らん」と。田光曰はく、「敬みて教へを奉ぜん」と。乃ち焉に造る。
第10段
太子跪きて逢迎し、卻行して道を為し、跪きて席を拂ふ。田先生坐定まり、左右人無く、太子席を避けて請ひて曰はく、「燕・秦は兩立せず、願はくは先生意を留めよ」と。田光曰はく、「臣聞く、騏驥盛壯の時は、一日にして千里を馳す。其の衰ふるに至りては、駑馬之に先んず、と。今太子光の壯盛の時を聞きて、吾が精已に消亡せるを知らず。然りと雖も、光敢へて以て國事を乏しくせざるなり。善くする所の荊軻、使ふべきなり」と。太子曰はく、「願はくは先生に因りて荊軻に交はるを願ふを得ん、可ならんか」と。田光曰はく、「敬みて諾す」と。即ち起ちて、趨り出づ。太子之を送りて門に至り、曰はく、「丹の報ずる所、先生の言ふ所の者は、國の大事なり。願はくは先生泄らすこと勿かれ」と。田光俛して笑ひて曰はく、「諾」と。
第11段
僂行して荊軻に見えて、曰はく、「光子と相善きは、燕國知らざる莫し。今太子光の壯盛の時を聞きて、吾が形已に逮ばざるを知らず、幸ひにして之に教へて曰はく、『燕・秦は兩立せず、願はくは先生意を留めよ』と。光竊かに自ら外とせず、足下を太子に言へり。願はくは足下太子に宮に過れ」と。荊軻曰はく、「謹みて教へを奉ぜん」と。田光曰はく、「光聞く、長者の行ひは、人をして之を疑はしめず、と。今太子光に約して曰はく、『言ふ所の者は、國の大事なり。願はくは先生泄らすこと勿かれ』と。是れ太子光を疑ふなり。夫れ行ひを為して人をして之を疑はしむるは、節俠の士に非ざるなり」と。自殺して以て荊軻を激せんと欲し、曰はく、「願はくは足下急ぎ太子に過りて、光已に死して、言はざるを明らかにせりと言へ」と。遂に自剄して死す。
第12段
軻太子に見え、田光已に死して、言はざるを明らかにせりと言ふ。太子再拜して跪き、膝下行して涕を流し、頃有りて後に言ひて曰はく、「丹の田先生に請ひて言ふこと無からしめし者は、以て大事の謀を成さんと欲せしなり。今田先生死を以て言を泄らさざるを明らかにす、豈に丹の心ならんや」と。荊軻坐定まり、太子席を避けて頓首して曰はく、「田先生丹の不肖を知らず、前に至るを得しむ。願はくは道ふ所有らん。此れ天の燕を哀れみて其の孤を棄てざる所以なり。今秦に貪饕の心有りて、欲足るべからざるなり。天下の地を盡くし、海內の王者を臣とするに非ずんば、其の意饜かず。今秦已に韓王を虜にし、盡く其の地を納れ、又兵を舉げて南のかた楚を伐ち、北のかた趙に臨む。王翦數十萬の眾を將ゐて漳・鄴に臨み、而して李信太原・雲中に出づ。趙秦を支ふること能はず、必ず入りて臣たらん。入りて臣たらば、則ち禍燕に至らん。燕は小弱にして、數々兵に困しみ、今計るに國を舉げて以て秦に當たるに足らず。諸侯秦に服し、敢へて合從する莫し。丹の私計、愚かに以為へらく、誠に天下の勇士を得て、秦に使ひし、窺ふに重利を以てせば、秦王其の贄を貪り、必ず願ふ所を得ん。誠に秦王を劫かすを得て、悉く諸侯の侵地を反さしむること、曹沫の齊の桓公に與するが若くせば、則ち大いに善し。則ち不可ならば、因りて之を刺殺せん。彼の大將兵を外に擅にして、內に大亂有らば、則ち君臣相疑はん。其の間を以て諸侯にはかれば、諸侯合從するを得て、其の秦を破るに償ふこと必せり。此れ丹の上願なり、而して命を委ぬる所以を知らず。唯だ荊卿意を留めよ」と。之を久しくして、荊軻曰はく、「此れ國の大事なり。臣駑下にして、任使に足らざるを恐る」と。太子前みて頓首し、固く請ひて讓ること無からしむ。然る後に許諾す。是に於いて荊軻を尊びて上卿と為し、上舍に舍らしめ、太子日日造りて問ひ、太牢異物を供し、間々車騎美女を進め、荊軻の欲する所を恣にし、以て其の意に順適す。之を久しくして、荊卿未だ行く意有らず。秦將王翦趙を破り、趙王を虜にし、盡く其の地を收め、兵を進めて北のかた地を略し、燕の南界に至る。太子丹恐懼し、乃ち荊卿に請ひて曰はく、「秦兵旦暮に易水を渡らば、則ち長く足下に侍せんと欲すと雖も、豈に得べけんや」と。荊卿曰はく、「太子の言微りせば、臣願はくは之を謁するを得んとせり。今行きて信無くんば、則ち秦未だ親しむべからざるなり。夫れ今樊將軍は、秦王之を購ふに金千斤、邑萬家。誠に能く樊將軍の首と、燕の督亢の地圖とを得て秦王に獻ぜば、秦王必ず說びて臣を見ん。臣乃ち以て太子に報ずる有るを得ん」と。太子曰はく、「樊將軍窮困を以て來たりて丹に歸す。丹己の私を以て、長者の意を傷つくるに忍びず。願はくは足下更めて之を慮れ」と。
第13段
荊軻太子の忍びざるを知り、乃ち遂に私かに樊於期に見えて曰はく、「秦の將軍を遇するや、深しと謂ふべし。父母宗族、皆戮沒せらる。今聞く、將軍の首を購ふに、金千斤、邑萬家と。將に柰何せんとす」と。樊將軍天を仰ぎ太息し涕を流して曰はく、「吾念ふ每に、常に骨髓に痛むも、顧みて計の出づる所を知らざるのみ」と。軻曰はく、「今一言有り、以て燕國の患ひを解きて、將軍の仇に報ずべき者あらば、何如」と。樊於期乃ち前みて曰はく、「之を為すこと柰何」と。荊軻曰はく、「願はくは將軍の首を得て以て秦に獻ぜん。秦王必ず喜びて善く臣を見ん。臣左手に其の袖を把り、而して右手に其の胸を揕抗せば、然らば則ち將軍の仇報ぜられて、燕國の陵がれたるの恥除かれん。將軍豈に意有りや」と。樊於期偏袒扼腕して進みて曰はく、「此れ臣の日夜切齒拊心するなり。乃ち今教へを聞くを得たり」と。遂に自刎す。太子之を聞き、馳せ往き、屍に伏して哭し、哀しみを極む。既に已んで、柰何ともすべき無く、乃ち遂に樊於期の首を收め盛り、之を函封す。
第14段
是に於いて、太子預め天下の利匕首を求め、趙人徐夫人の匕首を得、之を百金に取り、工をして藥を以て之を淬がしめ、以て人に試むるに、血縷を濡らせば、人立ちどころに死せざる者無し。乃ち裝を為して荊軻を遣はす。燕國に勇士秦武陽有り、年十二にして、人を殺し、人敢へて與に忤視せず。乃ち秦武陽をして副と為さしむ。荊軻待つ所有り、與に俱にせんと欲するも、其の人遠きに居りて未だ來たらず、而して為に留まりて待つ。之を頃にして未だ發せず。太子之を遲しとし、其の改悔有るを疑ひ、乃ち復た之に請ひて曰はく、「日以に盡きたり。荊卿豈に意無からんや。丹請ふ先づ秦武陽を遣はさん」と。荊軻怒り、太子を叱りて曰はく、「今日往きて反らざる者は、豎子なり。今一匕首を提げて不測の強秦に入る。僕の留まる所以の者は、吾が客を待ちて與に俱にせんとするなり。今太子之を遲しとす、請ふ辭決せん」と。遂に發す。
第15段
太子及び賓客の其の事を知る者、皆白衣冠して以て之を送る。易水の上に至り、既に祖し、道を取る。高漸離筑を擊ち、荊軻和して歌ひ、變徵の聲を為し、士皆淚を垂れ涕泣す。又前みて歌を為して曰はく、「風蕭蕭として易水寒し、壯士一たび去りて復た還らず」と。復た忼慨の羽聲を為し、士皆目を瞋らし、髮盡く上りて冠を指す。是に於いて荊軻遂に車に就きて去り、終に已に顧みず。
第16段
既に秦に至り、千金の資幣物を持ち、厚く秦王の寵臣中庶子蒙嘉に遺る。嘉為に先に秦王に言ひて曰はく、「燕王誠に振畏して大王の威を慕ひ、敢へて兵を興して以て大王を拒まず。願はくは國を舉げて內臣と為り、諸侯の列に比し、貢職を給すること郡縣の如くして、先王の宗廟を奉守するを得ん。恐懼して敢へて自ら陳べず、謹みて樊於期の頭を斬り、及び燕の督亢の地圖を獻じ、函封し、燕王庭に拜送し、使をして以て大王に聞せしむ。唯だ大王之に命ぜよ」と。
第17段
秦王之を聞き、大いに喜ぶ。乃ち朝服し、九賓を設け、燕の使者を咸陽宮に見る。荊軻樊於期の頭の函を奉じ、而して秦武陽地圖の匣を奉じ、次を以て進みて陛下に至る。秦武陽色變じ振恐す。群臣之を怪しむ。荊軻武陽を顧みて笑ひ、前みて為に謝して曰はく、「北蠻夷の鄙人、未だ嘗て天子を見ず、故に振慴す。願はくは大王少しく之を假借し、使を前に畢へしめよ」と。秦王軻に謂ひて曰はく、「起ちて、武陽の持する所の圖を取れ」と。軻既に圖を取りて之を奉じ、圖を發くに、圖窮まりて匕首見はる。因りて左手に秦王の袖を把り、而して右手に匕首を持して之を揕抗す。未だ身に至らざるに、秦王驚き、自ら引きて起ち、袖を絕つ。劍を拔くに、劍長く、其の室を摻る。時に怨急にして、劍堅し、故に立ちどころに拔くべからず。荊軻秦王を逐ひ、秦王柱を還りて走る。群臣驚愕し、卒かに起こりて意はず、盡く其の度を失ふ。而して秦の法、群臣の殿上に侍する者は、尺兵を持するを得ず。諸郎中の兵を執る、皆殿下に陳なり、詔有るに非ざれば上るを得ず。急なるの時に方たりて、下の兵を召すに及ばず。以の故に荊軻秦王を逐ひ、而して卒かに惶急して以て軻を擊つ無く、而して乃ち手を以て共に之を搏つ。是の時侍醫夏無且、其の奉ずる所の藥囊を以て軻に提つ。秦王の方に柱を還りて走るや、卒かに惶急して為す所を知らず。左右乃ち曰はく、「王劍を負へ、王劍を負へ」と。遂に拔きて以て荊軻を擊ち、其の左股を斷つ。荊軻廢し、乃ち其の匕首を引きて秦王に提つも、中たらず、柱に中たる。秦王復た軻を擊ち、八創を被らしむ。軻自ら事の就らざるを知り、柱に倚りて笑ひ、箕踞して以て罵りて曰はく、「事の成らざる所以の者は、乃ち生きながら之を劫かし、必ず約契を得て以て太子に報ぜんと欲せしなり」と。左右既に前みて荊軻を斬り、秦王目眩すること良久し。而して功を論じて群臣及び坐に當たる者を賞し、各々差有り。而して夏無且に黃金二百鎰を賜ひて、曰はく、「無且我を愛す、乃ち藥囊を以て軻に提てり」と。
第18段
是に於いて、秦大いに燕を怒り、益々兵を發して趙に詣らしめ、王翦の軍に詔して以て燕を伐たしむ。十月にして燕の薊城を拔く。燕王喜・太子丹等、皆其の精兵を率ゐて東のかた遼東に保つ。秦將李信燕王を追擊す。王急にして、代王嘉の計を用ひ、太子丹を殺して、之を秦に獻ぜんと欲す。秦復た兵を進めて之を攻む。五歲にして卒に燕國を滅ぼし、而して燕王喜を虜にす。秦天下を兼ぬ。
第19段
其の後荊軻の客高漸離筑を擊つを以て秦の皇帝に見え、而して筑を以て秦の皇帝を擊ち、燕の為に仇に報ぜんとするも、中たらずして死す。
第8段の注
- 読みいわゆる「荊軻刺秦王」の故事。『史記』刺客列傳とほぼ同文。
第12段の注
- 本文「以其間諸侯」は『史記』刺客列傳に「以其閒諸侯得合從」とあり、「間」を「閒(ひま)」の意に取り、その隙に諸侯に働きかける意で「其の間を以て諸侯にはかれば」と読んだ。
第15段の注
- 読み「風蕭蕭兮易水寒,壯士一去兮不復還」の歌で知られる。
第17段の注
- 本文「時怨急」の「怨」は『史記』刺客列傳に「惶」とあり、「惶急」の誤りとみられる。ここでは原文の字を保って読んだ。
読み下しは、掲載した原文から新たに作成した下書きで、校閲前のものです。漢字は原文の字体を保ち、送り仮名は歴史的仮名遣いです。訓読には異なる読み方があります。
現代語訳
荊軻、秦王を刺すを現代の言葉で読む
燕の太子丹は秦に人質となっていたが、逃げ帰った。秦が六国を滅ぼそうとして兵を易水に臨ませるのを見て、禍が来ることを恐れた。太子丹はこれを憂えて太傅の鞫武に言った。「燕と秦は両立しない。太傅、どうか図ってほしい。」鞫武は答えた。「秦の領地は天下に広がり、韓・魏・趙を脅せば、易水以北も安泰ではありません。どうして辱められた怨みで、その逆鱗に触れようとなさるのですか。」太子は言った。「ではどうすればよいか。」太傅は言った。「中に入って、図りましょう。」(第8段)
しばらくして、樊将軍が秦から逃げて燕に来た。太子はこれを受け入れた。太傅鞫武は諫めた。「いけません。秦王の暴虐が燕に怨みを積んでいることは、肝を冷やすほどです。そのうえ樊将軍がいると聞けばどうなるか。これは肉を餓えた虎の通り道に置くようなもので、禍は必ず避けられません。管仲や晏嬰がいても、策はありません。どうか太子は急いで樊将軍を匈奴に送って口を封じてください。西は三晋と結び、南は斉・楚と連ね、北は単于と和し、それから図るべきです。」太子丹は言った。「太傅の計は日数ばかりかかり、私の心はぼんやりして、一時も待てないのではないかと恐れます。それだけではありません。樊将軍は天下で困窮して、私に身を寄せたのです。私が強秦に迫られて、哀れんで交わった人を捨てて匈奴に置くことはできません。それは私の命が終わる時です。どうか太傅はもう一度考えてください。」鞫武は言った。「燕に田光先生という者がいます。知恵が深く、勇気が沈着です。この人と相談なさるべきです。」太子は言った。「太傅を通じて田先生と交わりたい。よいか。」鞫武は言った。「承知しました。」出て田光に会い、太子のことを言った。「国事を先生に図っていただきたい。」田光は言った。「謹んで承ります。」そして太子のもとへ行った。(第9段)
太子は膝をついて出迎え、後ろ向きに歩いて先導し、膝をついて席を払った。田先生が座り、左右に人がいなくなると、太子は席を離れて請った。「燕と秦は両立しません。先生、お心を留めてください。」田光は言った。「私はこう聞いています。騏驥は盛んな時は一日に千里を走る。衰えれば、駑馬が先に行く、と。いま太子は私の盛んな時のことを聞いて、私の精力がもう消えたことを知らないのです。しかし、私は国事をおろそかにはしません。私の親しい荊軻が、使えます。」太子は言った。「先生を通じて荊軻と交わりたい。よいか。」田光は言った。「承知しました。」すぐ立って、小走りに出た。太子は門まで送って言った。「私が申し上げたこと、先生がおっしゃったことは、国の大事です。先生、どうか漏らさないでください。」田光は下を向いて笑い、「はい」と言った。(第10段)
背を曲げて歩いて荊軻に会い、言った。「私とあなたが親しいことは、燕の国で知らぬ者はない。いま太子は私の盛んな時のことを聞いて、私の体がもう及ばないことを知らず、ありがたくも教えて『燕と秦は両立しない、先生、心を留めてくれ』と言われた。私はひそかに自分を他人と思わず、あなたを太子に申し上げた。あなた、太子の宮に行ってほしい。」荊軻は言った。「謹んで承ります。」田光は言った。「私はこう聞いている。長者の行いは、人に疑わせない、と。いま太子は私に『話したことは国の大事だ、漏らすな』と約束させた。これは太子が私を疑ったのだ。行いをして人に疑われるのは、節義ある士ではない。」自殺して荊軻を奮い立たせようと思い、言った。「あなた、急いで太子のもとへ行って、光はもう死んで、漏らさないことを明らかにした、と言ってくれ。」そして喉を切って死んだ。(第11段)
荊軻は太子に会い、田光がもう死んで、漏らさないことを明らかにしたと言った。太子は再拝して膝をつき、膝で進んで涙を流し、しばらくして言った。「私が田先生に漏らさないよう頼んだのは、大事の謀を成し遂げたかったからだ。いま田先生は死をもって漏らさないことを明らかにした。どうしてそれが私の心であろうか。」荊軻が座ると、太子は席を離れて頭を下げて言った。「田先生は私の不肖を知らず、あなたを私の前に来させてくれた。申し上げたいことがある。これは天が燕を哀れんで、その孤児を捨てなかったということだ。いま秦は貪欲な心を持ち、欲望は満ち足りることがない。天下の地を尽くし、海内の王者を臣にしなければ、その心は満たされない。いま秦はすでに韓王を捕らえ、その地をすべて取り、また兵を挙げて南に楚を伐ち、北に趙に臨んでいる。王翦は数十万の兵を率いて漳・鄴に臨み、李信は太原・雲中に出ている。趙は秦を支えられず、必ず臣になる。臣になれば、禍は燕に来る。燕は小さく弱く、たびたび兵に苦しんで、いま国を挙げても秦に当たるに足りない。諸侯は秦に服し、合従する者はいない。私の私見では、まことに天下の勇士を得て秦に使いさせ、重い利でおびき寄せれば、秦王はその贈り物を貪って、必ず望みがかなう。まことに秦王を脅して、奪った諸侯の地をすべて返させることが、曹沫が斉の桓公にしたようにできれば、大いによい。できなければ、そのまま刺殺する。秦の大将たちが外で兵を握っていて内に大乱が起きれば、君臣は互いに疑う。その隙に諸侯に働きかければ、諸侯は合従でき、秦を破ることは必ずできる。これが私の最大の願いだが、誰に命を託すべきか分からない。荊卿、心を留めてほしい。」しばらくして、荊軻は言った。「これは国の大事です。私は非才で、任に足りないのではないかと恐れます。」太子は進んで頭を下げ、固く請って辞退させなかった。そこで承諾した。こうして荊軻を尊んで上卿とし、上等の宿舎に住まわせ、太子は毎日訪ねて見舞い、最上の料理と珍しい品を供え、時々車馬や美女を進め、荊軻の欲するところに任せて、その意に添った。長くたっても、荊卿は出発する様子がなかった。秦の将王翦が趙を破り、趙王を捕らえ、その地をすべて収め、兵を進めて北に地を略し、燕の南の境に至った。太子丹は恐れ、荊卿に請った。「秦の兵が朝夕にも易水を渡れば、長くあなたにお仕えしたいと思っても、できましょうか。」荊卿は言った。「太子の言葉がなくても、私からお願いするつもりでした。いま行っても信用されなければ、秦王に近づけません。樊将軍は、秦王が金千斤と一万戸の邑で首を求めています。まことに樊将軍の首と燕の督亢の地図を得て秦王に献じれば、秦王は必ず喜んで私に会うでしょう。そうすれば太子に報いることができます。」太子は言った。「樊将軍は困窮して私に身を寄せた。私は自分の都合で長者の心を傷つけることはできない。どうかもう一度考えてほしい。」(第12段)
荊軻は太子が忍びないことを知り、ひそかに樊於期に会って言った。「秦が将軍を遇したことは、ひどいと言うべきです。父母も一族もみな殺され、没収されました。いま聞けば、将軍の首を金千斤と一万戸の邑で求めているとのこと。どうなさるのですか。」樊将軍は天を仰いで大きく息をつき、涙を流して言った。「私は思うたびに、いつも骨髄に痛むが、計の出るところが分からないだけだ。」荊軻は言った。「いま一言で、燕の患いを解き、将軍の仇に報いられるものがあれば、どうしますか。」樊於期は進み出て言った。「どうするのか。」荊軻は言った。「将軍の首をいただいて秦に献じたい。秦王は必ず喜んで私に会うでしょう。私は左手でその袖をつかみ、右手でその胸を刺す。そうすれば将軍の仇は報いられ、燕の辱められた恥は除かれます。将軍、お心はありますか。」樊於期は片袖を脱いで腕をつかみ、進み出て言った。「これこそ私が日夜、歯がみして胸を打っていたことだ。いま教えを聞くことができた。」そして自ら首を切った。太子はこれを聞き、駆けつけて屍に伏して泣き、哀しみを極めた。終わってから、どうすることもできず、樊於期の首を収めて箱に入れ、封をした。(第13段)
そこで太子は、あらかじめ天下の鋭い匕首を求め、趙の徐夫人の匕首を百金で手に入れ、職人に毒を焼き入れさせ、人で試すと、糸筋ほどの血が出れば、たちどころに死なない者はなかった。そして支度をして荊軻を送った。燕に秦武陽という勇士がいて、十三歳で人を殺し、人は目を合わせようとしなかった。秦武陽を副にした。荊軻には待っている人がいて、一緒に行こうとしていたが、その人は遠くにいてまだ来ず、そのために留まって待っていた。しばらくたっても出発しない。太子は遅いと思い、心変わりしたのかと疑い、また請った。「日はもう尽きた。荊卿に心はないのか。先に秦武陽を送りたい。」荊軻は怒って太子を叱った。「今日行って帰らない者は、未熟者です。いま一本の匕首を提げて測りがたい強秦に入る。私が留まっているのは、私の客を待って一緒に行こうとしているからです。いま太子が遅いと言われる。お別れします。」そして出発した。(第14段)
太子と、事を知る賓客は、みな白い衣冠で送った。易水のほとりに着き、道の神を祭って出発した。高漸離が筑を打ち、荊軻がそれに和して歌い、変徴の調べをなすと、士はみな涙を流して泣いた。また進んで歌った。「風は蕭蕭と吹いて易水は寒い。壮士は一たび去って、二度と帰らない。」さらに激しい羽の調べをなすと、士はみな目を怒らせ、髪は逆立って冠を突き上げた。そこで荊軻は車に乗って去り、ついに振り返らなかった。(第15段)
秦に着くと、千金の贈り物を持って、秦王の寵臣中庶子蒙嘉に厚く贈った。蒙嘉は先に秦王に言った。「燕王はまことに大王の威を恐れ慕い、兵を起こして大王に抗おうとはしません。国を挙げて内臣となり、諸侯の列に並び、郡県のように貢ぎ物を納め、先王の宗廟を守ることを願っています。恐れて自分では申し上げられず、謹んで樊於期の首を斬り、燕の督亢の地図を献じ、箱に封じて、燕王は宮廷で拝して送り、使者に大王へ申し上げさせました。大王のご命令をお待ちします。」(第16段)
秦王はこれを聞いて大いに喜んだ。朝服を着け、九賓の礼を設け、燕の使者を咸陽宮で見た。荊軻は樊於期の首の箱を奉じ、秦武陽は地図の箱を奉じ、順に進んで階段の下に着いた。秦武陽は顔色が変わって震えた。群臣は怪しんだ。荊軻は武陽を振り返って笑い、進んで謝った。「北の蛮夷の田舎者で、天子を見たことがないので震えています。大王、少しお許しいただき、使いを前で終えさせてください。」秦王は荊軻に言った。「立って、武陽の持つ地図を取れ。」荊軻は地図を取って奉じ、地図を開くと、地図が尽きて匕首が現れた。そこで左手で秦王の袖をつかみ、右手に匕首を持って刺した。身に届かないうちに、秦王は驚いて自ら引いて立ち、袖がちぎれた。剣を抜こうとしたが、剣が長く、鞘をつかんだ。あわてていて、剣は固く、すぐには抜けなかった。荊軻は秦王を追い、秦王は柱を回って逃げた。群臣は驚き、突然のことで思いもよらず、みな度を失った。秦の法では、群臣で殿上に侍る者は、わずかな武器も持てない。武器を持つ郎中たちはみな殿下に並び、詔がなければ上れない。急のときで、下の兵を呼ぶ間もなかった。だから荊軻は秦王を追い、群臣はあわてて荊軻を撃つものがなく、手で打ちかかった。この時、侍医の夏無且が、持っていた薬袋を荊軻に投げつけた。秦王は柱を回って逃げながら、あわててどうすべきか分からなかった。側近が言った。「王、剣を背負え、王、剣を背負え。」そこで抜いて荊軻を撃ち、その左の股を断った。荊軻は倒れ、匕首を秦王に投げたが、当たらず、柱に当たった。秦王はまた荊軻を撃ち、八か所の傷を負わせた。荊軻は事が成らないことを知り、柱にもたれて笑い、足を投げ出して罵った。「事が成らなかったのは、生かして脅し、必ず約束を取って太子に報告しようとしたからだ。」側近が進んで荊軻を斬り、秦王は長いあいだ目がくらんだ。それから功を論じて群臣とその場にいた者を賞し、それぞれ差をつけた。夏無且に黄金二百鎰を賜って言った。「無且は私を愛して、薬袋を荊軻に投げてくれた。」(第17段)
そこで秦は大いに燕を怒り、さらに兵を趙に送り、王翦の軍に詔して燕を伐たせた。十月に燕の薊城を落とした。燕王喜と太子丹らは精兵を率いて東の遼東に拠った。秦の将李信は燕王を追撃した。王は窮して代王嘉の計を用い、太子丹を殺して秦に献じようとした。秦はまた兵を進めて攻めた。五年でついに燕を滅ぼし、燕王喜を捕らえた。秦は天下を併せた。(第18段)
その後、荊軻の友の高漸離は筑を打つ芸で秦の皇帝に会い、筑で皇帝を撃って燕のために仇を報じようとしたが、当たらずに死んだ。(第19段)
掲載した読み下し文の流れを追えるよう、平易な現代語に訳しています。現代の組織へそのまま適用するのではなく、本文の考え方を理解するための訳です。
WORDS & CONTEXT
語句と背景
太子丹
燕王喜の子。秦に人質となっていました。甘羅の話(本データ 十二歳の甘羅)で趙に返された太子丹と同じ人物です。
鞫武(きくぶ)
太子丹の太傅(教育係)。
田光(でんこう)
燕の処士。
荊軻(けいか)
衛の人で燕に来た士。『史記』刺客列伝に伝があり、この話は刺客列伝とほぼ同文です(維基文庫『史記』巻八十六、固定版 2388562)。本データの読み下しの注にもその旨を記しています。
樊於期(はんおき)
秦の将で、秦から燕に逃げた人。『史記』では「樊於期」、この話の冒頭では「樊將軍」と呼ばれます。
督亢(とくこう)
燕の肥沃な地。この地図を献じるのは、土地を差し出す意味です。
曹沫(そうかい)
魯の将。斉の桓公を会盟の場で脅して奪われた土地を返させた、と伝えられます。
秦武陽(しんぶよう)
荊軻の副使。
高漸離(こうぜんり)
筑の名手。荊軻の友人です。
筑(ちく)
弦を竹で叩いて鳴らす楽器。
變徵・羽
音階の調子の名。変徴は悲しい調べ、羽は激しい調べとされます。
中庶子
宮中の官名。蒙嘉はこの地位にあって秦王に近かったので、荊軻は賄賂で彼を通しました。
九賓
最高の外交の礼。
夏無且(かむしょ)
秦王の侍医。
代王嘉
趙が滅びた後、代で王を称した趙の公子。
背景
『戦国策』の最後に近い巻に置かれた、最も長い物語です。本データの読み下しの注にあるとおり、『史記』刺客列伝の荊軻の部分とほぼ同文で、司馬遷がこの話を『戦国策』の元になった資料から取ったか、あるいは逆に、後に『史記』から『戦国策』に補われたか、議論があります。
読みどころの一つは、荊軻の最後の言葉です。太子の計画は、第一に秦王を脅して土地を返させること、第二に刺殺することでした。荊軻は「生かして脅そうとしたから失敗した」と言います。殺すだけなら成功していたかもしれない。失敗の原因が、計画への忠実さにあったという皮肉です。
もう一つは、田光と樊於期の死です。二人とも荊軻の計画のために自ら命を絶ちます。田光は「疑われたから」、樊於期は「仇に報いるため」です。荊軻が秦に入るまでに、すでに二人が死んでいる。この話の重さは、暗殺の場面よりも、そこに至る死の積み重ねにあります。
『韓非子』の立場からこの話を見ると、評価は変わります。鞫武が最初に言った「逆鱗に触れるな」は『韓非子』説難篇の言葉で、君主に説く者の心得でした。太子丹は逆鱗を避けず、個人の怨みで国を賭けました。結果、燕は五年で滅びます。『戦国策』はそれでも荊軻を悲壮に描き、『史記』もこれを刺客列伝の中心に据えました。
本文の解説
第一目標に忠実だったことが、敗因になった
秦から逃げ帰った燕の太子丹は、秦が易水に迫るのを恐れ、太傅の鞫武に相談します。鞫武は「秦の逆鱗に触れるな」と止め、諸国と結ぶ長期の策を説きますが、太子は待てません。鞫武は田光を紹介します(第8〜9段)。田光は「自分は老いた。友人の荊軻(けいか)が使える」と言い、太子に「漏らすな」と言われたことを恥じて、荊軻に太子のもとへ行くよう頼んだあと自殺します(第10〜11段)。荊軻は太子に会い、太子は秦王を脅して奪った土地を返させるか、できなければ刺殺する計画を語ります。荊軻は引き受け、厚遇されますが、なかなか出発しません。秦の将王翦が趙を滅ぼして燕の南境に迫ると、荊軻は秦から逃げてきた樊於期の首と燕の督亢の地図を手土産にすると言います(第12段)。太子が樊於期を殺すに忍びないので、荊軻は自分で樊於期に会い、樊於期は自ら首を切ります(第13段)。太子は毒を塗った匕首を用意し、十三歳で人を殺した秦武陽を副に付けます。荊軻は待っている友人がいて出発を遅らせますが、太子に疑われて怒り、出発します(第14段)。易水のほとりで、高漸離が筑を打ち、荊軻は「風蕭蕭として易水寒し、壮士一たび去りて復た還らず」と歌い、振り返らずに去ります(第15段)。秦では蒙嘉を通して秦王に取り入り、咸陽宮で謁見します。秦武陽は震えて怪しまれ、荊軻が地図を開くと匕首が現れます。荊軻は秦王の袖を取って刺そうとしますが、秦王は袖を引きちぎって逃げ、剣が長くて抜けず、柱を回って逃げます。殿上の臣は武器を持てず、侍医の夏無且が薬袋を投げ、「王、剣を背負え」の声で秦王はやっと剣を抜き、荊軻の左の股を断ちます。荊軻は匕首を投げますが柱に当たり、八か所の傷を受け、「生かして脅し、約束を取って太子に報告しようとしたから失敗した」と罵って殺されます(第16〜17段)。秦は燕を攻め、燕王は太子丹を殺して秦に差し出しますが、五年後に燕は滅びます(第18段)。荊軻の友高漸離は筑を打つ芸で秦の皇帝に近づき、筑で皇帝を撃とうとして失敗し、殺されました(第19段)。
「荊軻、秦王を刺す」として最もよく知られた話で、「風蕭蕭兮易水寒」の歌の出典です。
原文を読む
- 「柰何ぞ陵がれたるの怨みを以て、其の逆鱗を排さんと欲するや」(第8段)――鞫武の制止です。「逆鱗」は『韓非子』説難篇の言葉で、龍の喉の下に逆さに生えた鱗に触れると殺される、という譬えです(本データ 說難)。
- 「是れ肉を委てて餓虎の蹊に當つるを以てなり」(第9段)――秦から逃げた樊於期をかくまうことへの、鞫武の譬えです。鞫武の策はどれも慎重で、太子はどれも待てません。
- 「騏驥盛壯の時は、一日にして千里を馳す。其の衰ふるに至りては、駑馬之に先んず」(第10段)――老いた田光の言葉です。自分は衰えたと認め、荊軻を推します。
- 「夫れ行ひを為して人をして之を疑はしむるは、節俠の士に非ざるなり」(第11段)――田光が自殺する理由です。太子に「漏らすな」と言われたことを、疑われたと受け取ります。士の意地が、ここでは命より重い。
- 「誠に秦王を劫かすを得て、悉く諸侯の侵地を反さしむること、曹沫の齊の桓公に與するが若くせば、則ち大いに善し。則ち不可ならば、因りて之を刺殺せん」(第12段)――太子の計画です。第一の目標は秦王を脅して土地を返させること、暗殺は第二の手段でした。この順序が最後の荊軻の言葉につながります。
- 「此れ臣の日夜切齒拊心するなり」(第13段)――自分の首を差し出す樊於期の言葉です。「切歯」はここから出た言葉です。
- 「今日往きて反らざる者は、豎子なり」(第14段)――太子に疑われて怒った荊軻の言葉です。行ったきり帰れないのは未熟者だ、自分は生きて帰って報告するつもりだ、という自負です。
- 「風蕭蕭として易水寒し、壯士一たび去りて復た還らず」(第15段)――最もよく知られた歌です。一つ前の荊軻自身の言葉とは裏腹に、「復た還らず」と歌っています。
- 「圖窮まりて匕首見はる」(第17段)――地図を開いていくと、巻き終わりに匕首が現れる。「図窮匕首見」として、隠していたことが最後に露わになる意味で使われます。
- 「王劍を負へ、王劍を負へ」(第17段)――側近の叫びです。長い剣は腰では抜けない。背に回せば抜ける。この一言で秦王は反撃に移ります。
- 「事の成らざる所以の者は、乃ち生きながら之を劫かし、必ず約契を得て以て太子に報ぜんと欲せしなり」(第17段)――荊軻の最後の言葉です。殺そうとせず生かして脅そうとしたから失敗した、と。太子の計画の第一目標を守ろうとしたことが、敗因でした。
要点
- 燕の太子丹が荊軻を秦に送り、荊軻が咸陽宮で秦王を刺そうとして失敗し、燕が滅ぶまでを描いた話です。「風蕭蕭兮易水寒」の歌の出典で、『史記』刺客列伝とほぼ同文です。
- 荊軻は「生かして脅そうとしたから失敗した」と言い残します。太子の計画の第一目標に忠実だったことが敗因でした。
- 荊軻が秦に入る前に田光と樊於期が自ら死んでおり、この話の重さは暗殺の場面よりも、そこに至る死の積み重ねにあります。
INTERPRETATION
AI時代の経営への読み替え
AIで事業計画書を作ると、悲壮感が消えます。整った数字と前向きな文章は、荊軻の計画書にもなりえます。見るべきは、計画が失敗したときに失うものと、計画を進める途中で失っているものです。荊軻が秦に入る前に、田光と樊於期がすでに死んでいました。
逆鱗の忠告も重要です。取引先、金融機関、地域、行政。触れてはならない相手の逆鱗に、追い込まれた経営者は気づかず触れます。『韓非子』説難篇の言葉で、鞫武が最初に言ったことです。
LODGING & TOURISM
宿泊・観光の現場例
借入を重ねた末の大改装で、工事中の休業で常連を失い、完成後の売上が借入の返済に届かず、数年で手放した、という例があったとします。計画の途中で失った常連が、田光と樊於期です。
逆に、鞫武の策、つまり地域と結び、小さく積み上げる道を選んだ施設は、派手さはなくても残ります。『戦国策』は荊軻を悲壮に描きますが、燕は五年で滅びました。
現場例は、支援内容を考えるための提案例であり、実在する顧客施設の運用実績ではありません。
TRY TOMORROW
明日から試せる問い・行動
賭けの中身を、書き出す
- 計画の第一目標と第二目標は何か。第二が「刺殺」になっていないか。
- 計画を進める途中で、すでに失ったものは何か。人、常連、取引先。
- 逆鱗に触れていないか。金融機関、地域、行政の逆鱗を一つずつ確かめる。
「風蕭蕭として易水寒し」と歌う前に、鞫武の話を聞く時間はまだあります。
SOURCE & NOTES
出典・版・注記
- 原文:維基文庫「戰國策 (士禮居叢書本)/燕/三」固定版 2458643(ページ、固定版、履歴)。原著(劉向 編『戰國策』)はパブリックドメイン。電子テキストの編集上の寄与は CC BY-SA 4.0(https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/)。
- 原文への変更:本文を抽出し、姚本・鮑本・札記等の注釈と注釈行を除去。策ごとの見出しをsection_titleに分離し、校記をnotesへ分離。
- 読み下し文:本データで原文から新たに作成したもので、既存の訳注書の転載ではない。状態:draft_unreviewed(未校閲)。CC BY-SA 4.0。
読み下し・現代語訳・本文解説・経営解釈:宿泊DXラボ。読み下し・現代語訳・解説は原文から新たに作成した下書きで、校閲前のものです。古典の訓読と解釈には異なる見方があります。
編集:宿泊DXラボ。